ひのきしんとは
今、栃木県大田原市の亀久という土地におきまして
天(あま)が下の、一人でも多くの人類兄弟たちが、この地に寄り集えるように、
そして声高らかに‥朗々と‥天の恵みと日々の暮らしへの感謝の祭りを勤められるようにー「親拝殿の建設」ーを進めています。
これは、“天のご計画に基づいた”大きな仕事であります。
そのとてつもない大きな計画の中で、一人一人の僅かな力でも、老若男女問わずに皆で力を合わせて、天からのお与えの一日に汗を流しながら、一つ一つ積み上げていく苦労を‥共に笑い、共に歯を食いしばってにぎやかに勤めさせて頂いています。
このお勤めは一日を精一杯働かせて頂く時間を寄進(きしん)させて頂くところから「ひのきしん」と言います。
そしてこの「ひのきしん」の中で、天は不思議なお与えを下さる事があります。
ある一人の少年は‥
昨日まで食卓で共に笑い合っていた父親の「突然の死」に大きな心の傷を負い、
その死を受け入れる事が出来ずに生きる気力を失い、引きこもりがちになって、
やがて学校にも行けなくなり、社会に適応できなくなりました。
その姿を見ていた母親は、我が子の行く末に胸を痛め、案じて
藁をもすがる気持ちでこの「お道」へお運びになりました。
そこで、天からの不思議なお指図(さしず)の言葉を受けて、少年は「親拝殿の建設」に関わるお手伝いに見えました。何も分からないまま、ただがむしゃらに頑張ったその少年でしたが、今まで当たり前と思っていた“生きている身体がある”有難さに気付き、やがて“生きていく力”を取り戻しました。
そしてすぐに、行けなくなっていた学校にも行けるようになり、それからは、引きこもる事もなくなり、元気に暮らせるようになりました。
これは、天の不思議なお与えのほんの一例にしか過ぎません‥。
人知の及ばぬ、不思議に満ちた「天の仕事」を勤めさせて頂く中にある、目には映らない「大きな働き」を、私達の知らぬところで泣き暮しをしている兄弟たちに早く知って頂く為にも、この「親拝殿の建設」は急を要しています。
自然の働きの中の不思議に満ちた「天の仕事‥ひのきしん」に私達と一緒に汗を流してみませんか。